DUEL(激突!)
DUEL(和名:激突!)は21歳という当時史上最年少で映画監督となったスティーブン・スピルバーグが
25歳の時に監督した74分のテレビムービーである。TV初放映日は1971年11月13日。
後に劇場でも公開された。なお、DVD版は後述する欧州への輸出向けに90分へと拡張されている。
ストーリー
ディビッド・マンは妻に尻を敷かれるタイプのしがないサラリーマンだった。
ある日の昼下がり商談をまとめる為に愛車の赤い車を走らせ取引先に向かっていた。
カリフォルニアの小道をカーラジオと共に軽快に走らせていると
旧式の大型トラックが薄汚い噴煙を撒き散らしながら前方をノロノロ走っていた。
咳き込みながらも何の気なしに追い越すと、突然トラックはスピードを上げ、
愛車のバンパーすれすれまで接近してくるのだ。
ため息をつきながらもデイブは道を譲った。
するとどうであろうか、トラックは今度はスピードを落とした。
さらに先を行こうとするデイブを、巨大な車体を左右にくねらせ前に行かせようとはしない。
イライラが募る。
「坊や、お前と遊んでる時間はないんだ、そこを通せ!」
トラックは窓から太い腕を出し、「前へ行け」の合図をした。
「やっと聞き分けてくれたか坊や」
対向車線に入り追い越そうとした。すると突如車がー
間一髪で交わした後、息を切らせながら相手が普通じゃないことを悟った。
そしてこれが「激突」までの序曲であることもー。
論評
「姿の見えない強者に立ち向かう」
これがこの映画である。
強者であるだけでも厄介なのに、それにも増して敵の姿が見えないのだ。
そして敵の目的も何がしたいのかも分からない。
ただ不気味に、そして異常なほど執拗に付け回してくる。
これほど恐ろしいものがあるのだろうか?
制作秘話
この映画は元々は"ABC Movie of the
Week"という1969年から1976年にかけてアメリカで放映されていた、
週間で映画を放映していた番組、TVムービーという一風変わった需要に向けて作られたものだ。
実はスピルバーグも初期の頃は映画の仕事を中々もらえず、こうしたTVムービーで生計を立てていた。
激突!もそうしたTVムービーの中のひとつであった。
彼本人はTVムービー時代を振り返りこう語っている。
「クソつまらない脚本ばかりだったが必ずどこかにこだわりを入れていたのでたいてい評判は良かったよ」
これは当時のTVが現在の日本のドラマのように俳優のアップのシーンが多いのに対して
映画のように積極的に遠景からの撮影を取り入れていたからだと本人は分析している。
激突!は彼のTVムービー時代を終わらせ、映画へと向かわせる最後の作品であった。
その激突!の脚本は2007年に映画上映されたアイ・アム・レジェンドの原作を書いたことでも知られるリチャード・マシスン。
(厳密には「アイ・アム・レジェンド」の原作、「地球最後の男オメガマン」の原作となる「吸血鬼」の原作)
なんとその脚本はかのエロ雑誌PLAYBOYの小説欄に掲載されていたのだ。
脚本の原点はジョン・F・ケネディが暗殺された日に遡る。
暗殺の知らせを聞いたその日の帰路、細い小道を車で走らせているとトラックに突然煽られた。
執拗に付回すトラック。マシスンは横道に逃げ込んだ。
その横をトラックが物凄い勢いでかすめていったー。
車内の友人は青ざめてしまったが、そこでマシスンは閃いた。
そしてその場で友人が手にしていた大事な封筒にまさに激突!のアイデアそのものを走り書きしていった。
そのアイデアをTV局に持ち込み、映像化しようとしたが、内容が閉鎖的・局所的過ぎるなどの理由で突っぱねられ断念した。
そこで映像化を諦め小説という形で「激突!」を書いたのだ。
それが偶然スピルバーグの目に留まり(彼の友人がPLAYBOYを読んでいた)「なんてヒッチコック的な素材なんだ!」と唸らせ映像化に至ったという分けだ。
そしてTVでは驚異的な視聴率をはじき出し、後に望んでいた映画化まで実現する。
そんな激突!だが、実は原作者は以前から無意識に弱者が強者に戦いを挑むストーリーを書き続けていたという。
激突!でそれをはっきりとマシスンは意識してしまい、激突!は彼に書ける究極のそれであったと悟りそれ以降その類のストーリーには一切の筆を置いた。
この映画は納期が撮影開始の3週間後であった為撮影は12〜13日(12日だったか13日だったかはスピルバーグ本人の記憶が定かではないらしい)
で全てロケーション(スタジオを一切使わず現地撮影で)行った。その為撮影期間の短縮のためにあらゆる手段を講じている。
たとえば複数のカメラを別々の視点から同時に取る、道路全体を見回す俯瞰マップを撮影の進行チェック用に作成する、などだ。
スタジオに持ち帰ってフィルムを現像したりする時間も無いので失敗してても良いようにカメラは常時5台以上で撮影し、不測に備えた。
また、このように上空から道路を見渡した俯瞰マップ(Google
Earthみたいなもの)を作成し、撮影の予定を書き込んで効率よく撮影した。
この俯瞰マップは後年の作品でスピルバーグが使うようになった絵コンテの原型みたいな役割を果たしている。
撮影中はモーテル(日本のカーホテルに当たる)に宿泊していたスタッフ一同だが宿泊中は部屋一面がその俯瞰マップで覆い尽くされるほどであった。

俯瞰マップの再現。(本物はもっとごちゃごちゃ書き込まれています)
また、撮影を急いだ分安全性を損なわないように色々と工夫もされていた。
たとえば作中では70〜100kmを超える猛スピードで、トラックに至っては150kmを超えているという描写すらあるなど
本当にこんなスピード出して撮影して安全なのかと思いたくなるシーンが山ほどあった。
しかしこれらは撮影のトリックで実際には20〜50km程度しか出していなかったのである。
というよりトラックが旧式過ぎたためかその程度で限界だったようである。
そのトリックのひとつに「背景の使い方」がある。
トラックのシーンではスピード感を出すために必ず山側で映したり、撮影車で真横から反対方向への勢いをつけて撮影したりなどだ。
どうしてもスピード感が出せなかったときはコマ送りすることで強引に体感速度を速めていたという。
また、スピード感の演出に「アングル」も忘れてはならない。
ひとつの道のシーンでは常時5台ほどカメラを設置し、走行中の下からの映像などは
ローアングルも撮れる専用の撮影車を併走させ撮影した。
このようにして同じ時間軸で複数のアングルを存在させ交互に切り替えることで複雑な主人公の心理的描写をも可能にした。
さらに「効果音」も緊迫感の演出に絶大な効果を発揮した。このBGMというより「雑音(ノイズ)」のようにすら聞こえると言わしめた
心理面を深く描写した効果音は後の映画ジョーズにも取り入れられた。
その他の裏話
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この映画のワンシーンにカフェテリアで休息を取るシーンがある。
なんとそのシーンでは本物の客の横でやっていたが客は最後まで彼らが俳優であることに
気付かず知らずの内に日常を演じさせられていた。脚本家はそのせいでとてもリアルな映像が取れたと満足している。
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トラックのライトには羽虫をすりつぶして古さを演出した。また窓ガラスにはグリスやオイルを塗って顔がはっきり見えないように曇らせた。
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電話ボックスのシーンでは実は硝子にカメラをやっていたスピルバーグ本人が映りこんでしまっている。
このシーンは制作者側も気付いていたが映像の予備が無かったのでそのまま通した。
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名高い最後のトラックのダンプシーンでは7台のカメラで撮影し、
その内の1台のカメラが最初から最後まで見事に動きを捉えていたのでそれをそのままいじらずに採用した。
スピルバーグは大変褒め称えたというが名前すら把握していない、まさに名も無きカメラマンのファインプレーである。
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ラストのダンプシーンの効果音はジョーズのラストシーンでも採用した。
これは自分を映画へ導いてくれた激突!へのお礼を込めたもので「ひとつを頑張ってやりきれば次が来る」というメッセージでもあったという。
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当初欧州では映画の上映は90分以上で無ければいけないという制限があったので74分だったTV版激突!はトラックが電車に向けて
押し込むシーンを追加するなどで時間を増やした。
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David Mannの由来はMan、すなわち人類である。悩んだり焦ったりする人間らしさを強調するためにこういう名前にしたようだ。
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映画版では名前が明らかにされなかったトラックの男は小説版の設定資料ではKellerとなっている。これはKiller(殺人者)にかけたものであると推定される。
また、トラックの男はあちこちの州でこうした交通殺人を行う流れ者で、トラックについているナンバープレートはこれまで
狩ってきた相手のものだという設定がある。
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